スペシャルコラム

講演会や研修会で行われた講義、理事の雑誌等への投稿原稿、名誉会長・名誉理事からよせられる文章など、皆さまの役に立つ記事を不定期に掲載して行く計画でございます。
今後の充実にご期待下さい。

経験も、迅速で正確な判断の助けに

迅速検査研究会 名誉理事 一色賢司
一般財団法人日本食品分析センター 学術顧問北海道大学名誉教授

人類は食べ続けてきました。従属栄養動物の宿命です。最近、フードテックというカタカナ言葉が多用されています。食べ物を得て、食べ続けるための技術は、大昔しから開発され、改良され続けてきました。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(方丈記、鴨長明)と、言い伝えられています。食べ物は、食べられてしまうと姿を消してしまいます。それぞれの食べ物の出自は、生物です。人間に食べられなくても、自然界の定めに従って、姿を変えて行きます。

現在の食料調達は、分業で行われています。地球の反対側で育った生物も人間のフードチェーンに組み込まれて、どこかで消費されます。人工知能(AI)やバイオテクノロジーを含むフードテックが、隅々までに幸(しあわせ)を運んで欲しいものです。技術開発の行方や使い方を企業や専門家だけに委ねず、多くの人々が考え、人類としての方向性を決めることが大切ではないのでしょうか?
わが国には無関係とされていたBSE感染牛が、2001年に千葉県で発見されました。その時の深刻な反省と決意から、2003年に食品安全基本法が産み出されました。この基本法も忘れ、あるいは無視して、フードテックを声高に叫び、利益獲得に走る動きも感じられます。

「安全第一、品質第二、利益第三」であるべきです。1968年に「油症」が表面化しました(図)。新規化学製品PCBを熱媒体とする「連続減圧加熱脱臭技術」が、米ぬか油製造に導入されました。従来の技術では、ヌカ臭がしない米ぬか油を作ることは困難でした。1968年に「油症」が表面化する前に、原因不明の皮膚病や鶏の大量死などが起こっていました。表面化してからでも、60年近くたっています。亡くなった方もいます。「油症」患者さんは、体調不良に苦しんでおられます。「油症」の認定申請を行っても、認定を得られずに、自費で治療を続けておられる方もおられます。当該米ぬか油を製造した会社は、認定患者さんの治療費を払い続けています。

フードテックの関係者は、食品の歴史を軽視しないでほしいと思います。「油症」など、「水に流してはいけないもの」もあることに気付いてほしいと思います。